今までウィスキーをストレートで飲むのがメインでしたが、最近はカクテルにして飲んで楽しんでいます。
カクテルはある意味では家庭料理みたいな楽しみがあり、余りものを生かして新しいメニューを作る楽しみがあります。ライムジュースが余ってたから、ベースを変えて○○を作るとか。ベースの○○が余ってたから、リキュールを加えて○○、、、みたいな感じが楽しいです。
さて、最近のカクテルやブレンドするためのものとして一押しなのがリキュール「ディサローノ・アマレット」です!
杏のエッセンシャル・オイル(杏仁)から作られたリキュールでアーモンドの香りがして、甘くてほろ苦いリキュールです(発祥はサロンノという町でアーモンドを使った「アマレット」というお菓子があり、それの名前がリキュールにも付いたとか)。
個人的にはこの「アーモンドの香り」「甘い」「ほろ苦い」というある意味ではそれぞれなかなか両立し得ない要素が(例えば「甘い」と「苦い」とか)、なぜか両立しているところが可能性を広げてくれると思うのです。
コーヒーにこのリキュールを加えれば、この「ほろ苦い」とコーヒーの「苦い」が連結して、「甘い」が逆に際立ち、そして「苦い」が逆に後味の締まりを作ります。
ジンジャーエールに加えれば、「甘い」さ同士が平行線のように両立し、「ほろ苦い」で上手く溶け合う感じです。
ウィスキーと混ぜれば、、、ウォッカと混ぜれば、、、オレンジジュースと混ぜれば、、、オレンジと炭酸を加えれば、、、ウーロン茶と混ぜれば、、、
、、、と語りだしたらキリがない奥深いというか、華やかというか、可能性に包まれているとか、なんとも不思議なリキュールです。
イタリア・ミラノの北西約20kmくらいにあるサロンノ。
サロンノはイタリアの有名リキュール「アマレット」の発祥地と有名である。
特に1970年代にはアメリカではホワイト・レボリューションというホワイトスピリッツ(ウォッカ・ジンなど)を使ったブームが起こり、それをベースとしたカクテルが生まれている。
その時代の有名映画、アメリカのイタリア・シチリアのマフィアの社会を描いた『ゴット・ファーザー(1972年)』の公開に因んで作られたカクテル「ゴット・ファーザー」も、「アマレット」と「ウォッカ」をブレンドして作ったものである。 因みにリキュール「アマレット」は杏のエッセンシャル・オイルから作られていて、その杏はシチリア産である。
ホワイト・レボリューションと対照的なもの(ホワイトでないものをベースとしたカクテル)としてフランスの「コニャック(ブランデーの一種)」と「アマレット」をブレンドしたカクテルは「フレンチ・コネクション」と呼ばれ、1971年公開の有名映画『フレンチ・コネクション』から名付けられている。余談だが、『フレンチ・コネクション』はフランス映画『勝手にしやがれ』(沢田研二の曲のモデル)に影響を受けて作られ、本作は勝新太郎が絶賛したとか。
さて、この「アマレット」は1525年ベルナルディーノ・ルイーニという画家がサロンノの教会の聖マリアのフレスコ画を依頼され、モデルとして雇った宿屋の若い女主人と恋に落ち、ルイーニが素敵な女性としてモデルを描いたため、お礼として女主人が宿の酒場でこのリキュールを使ったお酒を贈ったことが始まりのよう。
ルイーニは1480年頃に生まれ、世代的にはラファエロ世代。 1500年頃、ミラノに生き画家かとして活躍し始めたところから記録が残っているようだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受け、実際に仕事をしたことがあるとか、門人であったとか言われるようだが、1500年の時点ではダ・ヴィンチは少し前にフランスがイタリアに侵攻してきて、ミラノにはいない。影響は受けているのは確かだが、ダ・ヴィンチとの繋がりは謎。
その後、1521年にローマに旅行しラファエロの影響を受けとされています。ただこちらも、ラファエロは前年に亡くなっており、遺作として旬だったラファエロの絵画に影響を受けたという事なのだろうか。
さて、そんなこんなを経て訪れたのが1525年のサロンノなのである。
ルイーニの後世の影響として、長年ルイーニの作品はダ・ヴィンチの作品と思われていた時期もあったようである。また「ロリータ」という言葉の語源となった小説『ロリータ』(主人公はハンバート・ハンバートで、この名前の日本の現在のデュオはこの主人公からとる)の作者が、「ルイネスク」と呼んだ「うっすらと開いた目をした優雅な女性像」で知られているようだ。
1600年代、多くの家庭が薬用や消化促進として自分たちの蒸留酒やリキュールを作っていたようで、その中に杏をエッセンシャル・オイルとしたリキュールを作っていたレイナ家がいた。
そのレイナ家は代々そのリキュールを作っていて、画家ルイーニに出された宿屋の古いレシピを発見し、20世紀初頭完全にレイナ家が版権を買って、「アマレット」を提供するお店をオープンするお店を開いたのが始まりのようです。
ただ、「アマレット」に影響された類似商品が増え1992年に「ディサローノ・アマレット」という名前に変更したようです。